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イタリア紙『コリエーレ・デッロ・スポルト』によると、先日レアル・マドリーの次期会長選に出馬表明したフロレンティーノ・ペレス氏はミランのカカへのアプローチを再開し、移籍金として8000万ユーロ(約106億1000万円)から交渉を開始する予定であると伝えた。

 同紙は「カカはレアルへ。ミランは窮地に」というタイトルでカカの移籍の可能性をこう示唆している。
「カカとレアル・マドリーの距離は再び縮まった。フロレンティーノ・ペレス氏がカカへのアプローチを再開する一方で、チームの宝を引き留めようとするミランの意思は揺らぎ始めている。両クラブの交渉は8000万ユーロから始まると見られている」

 同紙によると、この金額は冬季移籍市場でマンチェスター・シティ(マンC)がカカに提示した破格のオファー、1億1000万ユーロ(約146億円)を下回るものの、ミランは現在は同選手の残留に執着しておらず、同選手の移籍を認める方向に傾きつつあると見ている。

 マンCの高額オファーにもかかわらずカカの引き留めを図ったミランは、サポーターに大きな安堵(あんど)をもたらしたが、今回ばかりは、同選手を放出することににより財政立て直しを図る道を選ぶのではないかと危惧(きぐ)されている。

 同紙はまた、“ロッソネロ”(ミランの愛称)サポーターのカカに対する愛着を指摘した上で、同選手放出がもたらす影響についても言及している。
「移籍が実現した場合、ミランはレアル・マドリーからの収入の大部分をクラブへの投資にあてることができる。しかし、戦力面からいえば、カカの抜けた穴はチームにとって大きな痛手となるに違いない。カカをレアル・マドリーに譲れば、ミランはチャンピオンズリーグのライバルチームの1つに手を貸すことになる。また、これによりレアル・マドリーはスペインおよび世界のサッカーをリードする強豪バルセロナに再び並ぶための“武器”を手に入れることになる」

 同紙はまた、「カカ売却でレアル・マドリーから得る8000万ユーロで、ミランは2008年度の損失6680万ユーロ(当時のレートで約79億6000万円)を補てんし、アーセナルのエマニュエル・アデバヨルの獲得に向けても大きく前進することができる」とのメリットを指摘している。だが、その一方で、この移籍が実現しない可能性にも触れている。

 というのも、同クラブのアドリアーノ・ガッリアーニ副会長が先日、「ペレス氏はわたしの親友で、彼がレアル・マドリーの会長でなかった時期もわれわれはコンタクトを続けてきた。ペレス氏から電話があるかどうかは分からないが、もしあった場合は、『カカは売却対象ではない』と伝えるつもりだ」とカカの売却を明確に否定したほか、カカ本人や代理人である父親もミランからの移籍に否定的な見解を述べているからだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090524-00000009-spnavi-socc

カカはブラジルの首都ブラジリアで生まれる。父ボスコはエンジニア、母シモーネは学校の教師として家庭を支え、カカが生まれた後すぐにクイアバに移住し、7歳の時にサンパウロへ来る。彼自身が「幼い頃からサッカー以上に好きなものはなかった」と語るように、ボールを蹴ることが何よりも楽しみだったという。 父がサンパウロFCのクラブ会員だったので、9歳でサンパウロFC(ブラジル)のクラブ会員用のチームに加入。当時から技術面では優れたものをもっていたが、他の子たちに比べて線が細く、補欠に甘んじていた。その後クラブでのトレーニングの成果でビルドアップに成功、弱点を克服した。

18歳の時、プールで遊んでいた際に頭部を強打し頸椎を損傷する重傷を負う。あわや下半身不随寸前の怪我だったものの、極度の近視となった以外には、幸いにも運動能力にはほとんど影響は見られなかった(その後、極秘でレーシック手術を受け、視力を回復する)。

トップチームデビューは2001年2月のボダフォゴ戦。途中出場ながら2得点を決める活躍を見せる。プールでの事故からわずか4ヶ月後のことだった。

以降サンパウロFCのトップチームに定着したカカは、程なくブラジルA代表メンバーにも選出。2002年にはワールドカップ日韓大会のメンバーにも選ばれ、出場機会は少ないながらも優勝を経験した。

翌年、850万ユーロ(約11億円)の移籍金でイタリアセリエAの強豪・ACミランへ移籍。移籍初年度、チームの司令塔であるマヌエル・ルイ・コスタのバックアッパーとしての働きを期待されていたが、蓋を開けてみるとリーグ戦2試合目からレギュラーを奪い取り、逆にルイ・コスタをベンチに追いやって、期待以上の働きを見せた(2005-2006シーズン終了後、ルイ・コスタは出場機会を求めてACミランを退団した)。

2006 FIFAワールドカップではロナウジーニョ、ロナウド、アドリアーノとカルテット・マジコ(「魔法の4人」)を形成し世界中で話題となった。しかし前評判ほどのパフォーマンスは見せられず、チームはベスト8で敗退した。

2006-2007シーズンもミランの大黒柱として活躍を続け、殊にUEFAチャンピオンズリーグでは10得点を決めブラジル人としてはリバウド以来の得点王となり、ビッグイヤー獲得の原動力となった。2007年2月にはイタリア国籍を取得しEU圏外枠を使う必要もなくなった(イタリア国籍を取得するには先祖にイタリア人がいるかどうか様々な証明書や書類が必要)。

これらの活躍を評価され、2007年10月5日には国際プロフットボール選手協会(FIFPro)が選ぶ06/07年間最優秀選手賞、12月2日にはフランス・フットボール誌が選出する世界年間最優秀選手賞バロンドールを初受賞。ブラジル人のバロンドール獲得はロナウド2度、リバウド、ロナウジーニョに続く4人目。

また12月14日には1984年のミシェル・プラティニ(フランス)以来となる52.8%の過半数得票を集め、英ワールドサッカー誌が選ぶ世界年間最優秀選手賞にも輝く。この間開催されていたFIFAクラブワールドカップ2007では1得点3アシストの大活躍を見せ、大会MVPに輝くと共に、欧州勢として初となるクラブW杯優勝、ミランとして1990年トヨタカップ以来4度目となる世界一に導いた。

2007年12月17日スイス・チューリッヒにて、各国代表チームの監督と主将の投票によるFIFA年間最優秀選手賞をメッシ(504票)C・ロナウド(426票)らを抑え初受賞(1047票)。ブラジル人としてはロマーリオ、ロナウド3度、リバウド、ロナウジーニョ2度に続く5人目の受賞となり、バロンドールとの同年ダブル受賞は史上9人目の快挙。

これでこの年のカカは07年バロンドール、07年FIFA年間最優秀選手賞、06/07FIFPro年間最優秀選手賞、07年英誌ワールドサッカー選出世界年間最優秀選手賞と4つの栄誉を手にすることになった

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