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 2010年ワールドカップ(W杯)・南アフリカ大会の南米予選に出場するため、母国アルゼンチンに帰国しているバルセロナのFWリオネル・メッシは、現地でFOXスポーツとのインタビューに応じた。

 最初にメッシは、自身の2人の監督、ディエゴ・マラドーナとジョゼップ・グアルディオラについて語った。
「ディエゴと僕を比較するなんて、ディエゴに対して失礼な話だよ。マラドーナは唯一無二の存在だ。でも、監督としてはマラドーナとグアルディオラはとてもよく似ている。2人とも選手との距離がとても近いし、サッカーを熟知していて、それを選手に伝える能力に長けている」

 さらにメッシは4月1日に行われた南米予選、対ボリビア戦での1-6という歴史的大敗について自身の見解を述べた。
「ボリビアでの試合は最悪だった。僕らは闘争心をむき出しにして試合に臨んだ。でも、それは間違いだった。早い段階で体力を消耗してしまったからね。そうなると元の状態に戻すことは不可能だ。これはあの試合から学んだことだ」

 最後にメッシは、アルゼンチン代表のチームメートの質の高さを賞賛し、同代表でのW杯予選突破に向けた意欲について語った。
「“クン”(セルヒオ・アグエロの愛称)やカルロス・テベスたちと代表で一緒にプレーできるなんて光栄なことだ。これだけの才能豊かな選手がそろったチームの質を考えれば、何か大きなことが成し遂げられるはずだ。W杯まではまだまだ時間があるように見えるけど、時間はあっという間に過ぎるからね。僕は前回の大会のことよりも、南アフリカでプレーしていることばかりを想像している。アルゼンチンのために何か大きなことができればいいね」

 アルゼンチンは6日にブエノスアイレスでコロンビアと、10日にはキトでエクアドルと対戦することになっている。 


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ディエゴ・アルマンド・マラドーナDiego Armando Maradona1960年10月30日 - )は、アルゼンチン出身の元サッカー選手であり、現サッカーアルゼンチン代表チーム監督である。

不世出の天才レフティー。選手時代は神の子 (el pibe de oro, the golden boy)、カーリーヘアの天才児と呼ばれた。

1960年10月30日にブエノスアイレス南部のラヌースに貧しい家庭の子として生まれる。幼少の頃から天才サッカー少年として脚光を浴びると11歳でロス・セボジータス(Los Cebollitas =小さな玉葱)と云う地元の少年サッカークラブに入団。12歳でアルヘンティノス・ジュニアーズの下部組織に入団し、1976年10月20日、15歳11か月の若さでタジェレス・デ・コルドバ戦でトップチームの公式戦に初出場する。その4か月後の1977年2月27日にはアルゼンチン代表に選ばれ対ハンガリー戦に出場した。

しかし翌1978年の、母国アルゼンチンで開かれたワールドカップ・アルゼンチン大会には年齢を理由に代表チームには選ばれなかった。その翌年に日本で開催された第2回ワールドユースでは、W杯不出場の鬱憤を晴らすような活躍でアルゼンチンを優勝に導いた。 1981年にマラドーナ自身も熱狂的なサポーターである名門ボカ・ジュニアーズに400万ドルで移籍、翌年にはスペインのFCバルセロナに600万ドルで移籍するなど絶頂期にあった。

スペインでの挫折

ここからは暫らく不運が続く。1982年ワールドカップ・スペイン大会では対戦相手の執拗なマークに苦しみ、2次リーグのブラジル戦ではマークを受けていたバティスタの腹を蹴り退場処分を受けた。移籍したバルセロナでは入団早々に肝炎を患い、また1983年9月24日のアスレティック・ビルバオ戦では相手DFのアンドニ・ゴイコチェアによる悪質なタックルで左足首と靭帯に重症を負い6か月の長期離脱を余儀なくされ、失意のうちに1984年にイタリアのSSCナポリに移籍する事になった。

ナポリとメキシコW杯の栄光

1984年6月30日にSSCナポリ入団、7月5日にスタディオ・サン・パオロで行われたお披露目会見には多数のサポーターが駆けつけた。そしてこのクラブと都市で失われた本来の輝きを取り戻す。マラドーナのプレーは人々を魅了し、ナポリではサポーターから「ナポリの王」と呼ばれ愛された。彼が入団を決めた直後から、ナポリのシーズンシートが瞬く間に売れ、莫大な移籍金および給料を払ってもなお、数年後にブラジル代表のエースストライカー・カレカを獲得出来るほどナポリの財政は潤った。

在籍期間中にクラブを2度のスクデットと1度のUEFAカップ制覇に導き、カレカ、アレモンチロ・フェラーラらと共に黄金時代を築きあげた。イタリア北部の都市にサッカーだけでなく政治、経済、全ての分野を独占されていた南部の人々にとっては素晴らしい時をもたらした。

一番の大舞台は1986年ワールドカップ・メキシコ大会である。心身共に万全な状態で大会に挑み、5ゴール、5アシストの大活躍でチームを優勝に導いた事から同大会は「マラドーナのための大会」と呼ばれた。また、準々決勝、対イングランド戦の「神の手」ゴール(ゴールする際に手でボールを叩いていた(ハンドリングの反則)にもかかわらず審判がゴールを認めた)や「5人抜きドリブル」等、サッカー史上に残るプレーを残している(後述)。

 転落の日々

しかし、1990年ワールドカップ・イタリア大会はマラドーナにとって不幸な大会となった。準決勝でイタリアと地元ナポリで対戦、PK戦でアルゼンチンが勝利した事で、イタリア国民のみならずマラドーナとナポリサポーターとの関係も悪化してしまい、コカイン使用発覚により15か月間の出場停止処分を受けた事で、1992年、スペインのセビージャFCに移籍せざるをえなくなってしまった。

その後、1994年ワールドカップ・アメリカ大会でのドーピング違反による大会からの追放、監督業への挑戦を経て、1995年ボカ・ジュニアーズへ復帰、1997年自身の37歳の誕生日に現役引退を発表した。

 引退後

引退後もマラドーナの薬物癖は抜けず、コカインや覚せい剤の摂取がしばしば明るみに出た。また、薬物過剰摂取、アルコール依存症、極度の肥満などにより大きく体調を崩してしばしば入院、ときには危篤状態にまで陥るなど、現在の人間としてのマラドーナの評価は、お世辞にも高いとは言えない。

しかし、そのような状態でも、アルゼンチンにおけるマラドーナの人気は不動である。2005年から始まったマラドーナが司会を務めるテレビ番組『10番の夜』は、視聴率30%を超える人気番組となり、その言動は常に注目される。またアルゼンチンの期待の若手選手は「マラドーナ2世」と呼ばれることが多く、そのサッカー選手としての名声は今なお衰えを知らない。現在経済危機に陥っているアルゼンチンでは、マラドーナを復活と再生のシンボルとして崇めている。

 

アルゼンチン代表監督時代

マラドーナはかねてからアルゼンチン代表監督への意欲を公言していたが、監督としての実績がほとんどないこと、前述のような問題行動が多いことから、実際に就任が取りざたされることはほとんどなかった。しかし2008年10月、2010 FIFAワールドカップ・南米予選におけるアルゼンチン代表の成績不振により、アルフィオ・バシーレ監督が辞任すると、アルゼンチンサッカー協会はマラドーナへ監督就任を要請。同年11月、バシーレの後任としてアルゼンチン代表監督に正式就任した。伝説的な人物の監督就任として、その手腕が注目されている。

得意の左足を駆使したドリブルの技術に特に優れており、小柄ながら下半身のしっかりした地を這うようなフォームで、ボールを持っているときはどんなにつっかけられようとボールを持ち続けた。まさに足に吸い付くという表現がふさわしいドリブルであり、イタリアで対戦したジーコをして「笑うしかなかった」といわしめした。マラドーナ自身は、体が小さいことから接触プレーでは不利なので、相手が届かない所にボールをコントロールしてドリブル突破していこうと考えて練習を積んできたことで、技術が身に付いたのだろうと語っている。

また、30メートルを3.9秒で走るスピードを生かした、強引ともいえるドリブルは相手チームにとって脅威となったため、相手DFがあからさまなファウルでボールを奪おうとする事も多かった。1990年イタリアW杯では、マラドーナを止めるために、ボールでなく体めがけてのチャージを繰り返してきたカメルーンのようなチームも出るほどで、これが後のバックチャージの厳罰化等の一要因になった。

キックの精度も非常に高く、左足から繰り出すシュートはスピード、タイミング、コースともに絶妙なものだった。それでいて、1990年のワールドカップ・イタリア大会、ブラジル戦でDFを4人引き連れてクラウディオ・カニージャに出したラストパスのように絶妙のアシストを出せる選手でもあった。

傑出したボールキープ力とパスセンス、得点能力を持っており、彼のプレーの出来が当時のアルゼンチン代表やクラブの成績にも反映された。


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